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歴史的風土特別保存地区とは?

古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法(昭和41年制定)により、古都の歴史的風土を保存するために指定される区域を「歴史的風土保存区域」と言う。 歴史的風土保存区域中の重要な地域は「都市計画」によって「歴史的風土特別保存地区」とすることができる(同法第6条)。 「都市計画」によって「歴史的風土特別保存地区」が決定されたときは、その旨を表示する標識が設置されることとなっている(同法第6条第2項)。 「歴史的風土特別保存地区」において、建築物の建築、工作物の建築 宅地造成、土地開墾、土地の形質変更、土石採取、水面の埋立・干拓、木竹の伐採を行なうには、知事または指定都市の市長による「許可」が必要とされている(同法第8条)。 また「歴史的風土特別保存地区」においては、屋外広告物の表示・掲出、建築物・工作物の色彩変更についても知事または指定都市の市長の許可が必要とされており、景観や伝統建築物が厳しく保護されていることに特徴がある(同法第8条)。 なお、上記の許可を得ることができないために、損失を受けた者がある場合には、府県は通常生ずるべき損失を補償する必要がある。ただし、他の法律(建築基準法など)でも不許可処分であるときや、社会通念上都市計画の趣旨に著しく反するときは、損失補償を受けることができない(同法第9条)。 また、上記の許可を得ることができないため、土地の利用に著しい支障をきたす場合に、買い入れの申出があったときは、府県は、当該土地を時価で買い入れる必要がある(同法第11条)。 外為の純粋なアニメーション映画は、フランスの画家エミール・コールの製作した、『ファンタスマゴリー』(1908年、原題:Fantasmagorie)だと考えられている。コールはアメリカのブラックトン(後述)の用いていたコマ撮り実写映画の技法に着目し、そこから実写部分を排した完全なアニメーション作品を創作した。『ファンタスマゴリー』の動画は白い紙に黒インクで描かれ、ネガフィルムのまま黒地に白い線のアニメーション映画として上映された。 日本の劇場用アニメ映画の歴史は古く、研究者によると、大正期の1916年から始まる下川凹天、北山清太郎、幸内純一の3人の漫画家、画家が手がけたペーパーアニメーションと切紙アニメーションが日本の最初期に制作されたアニメーションとされている。これは1910年代に輸入されて好評を博した海外の短編アニメーションを受けて、日本の映画会社が依頼して制作された10分ほどの短編作品で、いずれも現存しない。セルアニメーションの導入が遅れた日本では切り紙アニメーションが発達し、この分野では大藤信郎賞にその名を残す大藤信郎が国際的な評価を得た。セルアニメーションでは1943年の政岡憲三による『くもとちゅうりっぷ』などがある。 第二次世界大戦を迎えると、それまで個人工房により乏しい予算で小規模に行なわれて来た日本のアニメーション制作に対して、軍部より予算が投下され、戦時色の強い国威発揚的な内容ながら、瀬尾光世の『桃太郎の海鷲』(1942年)、『桃太郎 海の神兵』(1944年)といった作品が制作された。後者は日本初の長編アニメーションと位置付けられている。 日本において娯楽色の強いアニメーション映画が普及したのは、東映動画が登場する1960年代になってからである。東映動画の誕生を持って、日本は年に1本から2本のペースで長編アニメが制作されるというアメリカに次ぐ存在となった。 日経225を筆頭に、『安寿と厨子王丸』(1961年)、『わんわん忠臣蔵』(1963年)、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)、『空飛ぶゆうれい船』(1969年)、『長靴をはいた猫』(1969年)、『海底3万マイル』(1970年)、『どうぶつ宝島』(1971年)など、東映動画と虫プロダクションが長編アニメを世に送り出した。 これらのシリーズは「東映まんがまつり」などのようなお正月などの定番映画として低年齢層向け映画として普及することとなる。これらの映画の多くは映画館だけではなく、小学校の上映会などにも貸し出されて、多くの子供たちが観賞する機会を得ることになる。またこういった長編アニメ映画の小学校などでの無料公開は、後の星空映画会などへと引き継がれていくこととなる。 一方で、これまで長編アニメではフルアニメーションを基本として来た東映動画が、1966年の「東映まんがまつり」の『サイボーグ009』からは、3コマ撮りによるテレビアニメとの中間的位置付けの作りの「B作」と呼ぶ路線が開始となる。従来のフルアニメは「A作」として区別されるようになり、1963年の『鉄腕アトム』開始によるテレビアニメ時代の幕開けの影響を如実に受けるようになった。 ただし、1969年公開の『千夜一夜物語』から始まった虫プロによる「アニメラマ三部作」は「東映まんがまつり」と逆の位置にあり、大人向けに作られていた。1970年代には『クレオパトラ』、『哀しみのベラドンナ』が公開されている。 この時代になって、ついに東映動画は劇場アニメでもフルアニメーションの制作を中止。「東映まんがまつり」は『マジンガーZ』などテレビで人気を得たアニメの劇場用新作という路線に転換した。また、この時期の「東映まんがまつり」は東宝の「東宝チャンピオンまつり」とともに、新作ではない既に放送済みのテレビアニメをそのまま劇場アニメとして上映していた。一方で、虫プロダクションが倒産して、劇場向け長編アニメといえば東映動画の独擅場だった日本アニメ界において、変化が起きるのは1970年代後半である。 FXになると、主にテレビアニメをオリジナルアニメ化した作品が登場する様になる。1974年にはテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が放送される。テレビでの本放送時にはあまり人気が無かったが、再放送によりヒットすると、1977年にテレビ放送を編集した劇場版が公開され、初日から徹夜する客が出る等の大ヒットを記録する。翌1978年には『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開され空前の大ヒットを記録し、この2作品によって子供をターゲットとしていたアニメ映画というものが、年齢層を超えて楽しめるものであると認識される様になった。この後、劇場用アニメ映画が数多く作られることとなる。 『宇宙戦艦ヤマト』シリーズは2作目以降、オリジナル作品が制作されることとなるが、これらの続編ではテレビを意識してか、シネマスコープサイズではない比率の映画が作成されている。 1978年には世界初のアニメビジョンの作品『ルパン三世』が公開されるなど、1970年代後半には数多くの作品が公開された。1979年には宮崎駿が初めて監督にデビューした作品『ルパン三世 カリオストロの城』が公開される。本作はヒットにはならなかったもののアニメファンや業界関係者の評価は当時から高く、後のアニメーターたちに深い影響を与えた。 『科学忍者隊ガッチャマン』『未来少年コナン』『アルプスの少女ハイジ』などアニメブームに乗って、テレビアニメを再編集した長編アニメが劇場で公開されたのもこの時期の特徴である。これはアニメブームを当て込んだものである一方で、東映動画以外の制作会社はそれまでもっぱらテレビアニメの制作を専門として劇場向け長編アニメを制作するノウハウが無く、急な需要に応えるだけの余力に欠けていたことが原因である。観客の側にとっても、ビデオデッキとレンタルビデオ店の普及が1980年代の半ばだったこともあり、再放送以外では人気テレビアニメを再鑑賞できる唯一の機会という側面があった。